教育の核心は「人間学」                           百瀬昭次
 ご存知のように、時代は今、有史以来の大変革期を迎え、一段とハイレベルの時
代に向けてあらゆるものが大きな変化、すなわち良質化が迫られています。
 「教育」も無論例外ではなく、むしろ社会の存続を根底から支えるというその特質
ならびに使命からすれば一層そのことがいえます。
 そこでまず考えるべきことは、そのものが果たして本物かどうかを見分けることで
す。というのも、そもそも大変革期とは、前例がないほどの大きな変化、変動を生
起させ、ちょうど篩に掛けて振り分けるように、そのものが正しい本物かどうかを選
別してみせてくれるのがその持ち味の一つでもあるからです。
 「疾風に勁草を知る」という格言にもあるように、激動の時流にさらされると根(土
台)がしっかりしている本物だけが残り、そうでないものは一掃されるのが世の常
です。
 バブルの崩壊も大変革期ならではの代表的事変といえます。銀行や大企業とい
えども、バブルにうつつを抜かすような企業(経営)体質の悪いものは相次いで倒
産します。反対にどんな小さな企業でも、常に人材(人財)の育成に力を注ぎ、各
人の真の人間力(人知、人徳、人格)と、体の真の企業力(企業知、企業徳、企業
格)のレベルアップに努めている本物の企業は、不況風をよそにますます繁栄する、
といった現象がそれです。
 学校にしてもそうです。校内暴力や学級崩壊が発生するのも、その学校の体質
の低下に原因があり、質のわるいものがどんどん顕在化し、露呈していく時代です。
 そこで大事なことは、次の二つの事柄です。
 (1) 原点に返り、根本を見直すこと
 (2) 本物に着眼し、それを見習うこと
 「教育」についても、そのことが早急に必要です。
 まず(1)ですが、そもそも「教育」とは何かというと、「人間らしい幸福な生き方を
するうえに必要な事柄(知識や知恵)を授けて上げる」ということでしょう。そして、
かたちとしては、教師が生徒に、親が子に対して行うのが通常のすがたです。
 したがって、教育の根本は、教師と生徒あるいは親と子の接点にあり、ここでの
関わり方、交流の仕方如何でその良否(成果)が決まるということです。もっと具体
的にいえば、何をどのようなやり方(方法)で教えて(授けて)あげるか、という教え
る内容(なかみ)とその教え方(かたち)の二つが教育のカギを握る根本要素で、こ
の二つが適切な教育こそが本物の教育であるということです。
 このことから、教育問題が起こるとすれば、必ずこの両者のいずれか、あるいは
両方が適切でないことが原因であることがわかります。そして、「いじめ」をはじめ
とする今日の教育問題もその例外ではないということです。
 まず教える内容ですが、従来の教育では、今子どもたちがいちばん欲求している
宇宙的視野から捉えた「人間の真の生き方」あるいは「人生の柱となるような本質
的な知識や知恵」すなわち「人間学」の基本については殆ど教えられておりません
し、また彼らに対する教え方の面でも根本的な問題があり、とても十分とはいえな
いのが実情です。
 ですから、殆どの子どもたちは、大なり小なり精神的な欲求不満に陥っています。
その突出した表われが「キレる」「ムカツク」という言葉や「いじめ」その他の反抗的
言動です。
 これらのことから、教育問題の解消の最優先課題は、二つの根本要素の是正に
あり、それを是正することこそが「教育改革」の核心に他ならないということです。
 ということは、そのことをないがしろにして、他のことをいくらやっても本末転倒と
いうもので、やればやるだけ損失を招くのがおちということです。重要なことは、従
来の教育ですっぽり抜けていた、人生に必要な骨組みを子どもたちの中に構築す
ることがまず先決で、全てはそこから始まるということです。
 つまり、この構築ができてはじめて、教育制度の改正や教育システムや教育設
備の整備の真価が、あるいはボランティア教育やIT教育の持ち味が生まれてくると
いうことです。
 最近、この私の提言している「教育改革」の核心とその具体策に関わる重要な資
料が、私の手元に数多く寄せられているのです。学校教育や家庭教育の場で、「
人間学」の基本を説いた私の著書を活用した、その実践レポートや生徒たちの生
の声がそれです。
 その中から学校教育の現場でたいへん参考になる事例を一つ紹介させていただ
きます。自著に関わることではありますが、今の子どもたちが、いかに人間学的な
事柄を求めているかを知るうえに、最適な事例ですので敢えて取り上げさせていた
だきました。
 高崎市立片岡中学校における一連の実践例がそれです。これは自分がいうのも
何ですが、今日のような大変革期の時代であればこそ起こり得た、まさに教育史
上に残る一大快挙といえるものだと思っています。これによって今の子どもたちが
いかに「人間学」の基本を心底求めているかが明白となったといえるからです。
 有史以来といわれるような未曽有の変革期には、往々にして前例がないことが
起こったり、前例のないことをするといったことが要望される時代です。つまり、そ
のくらい思い切ったことをすることによって、はじめて活路が開け、事態も一大進展
をみるということです。
 片岡中学校のケースはその典型といえます。平成十一年度の三学期から、平成
十二年度の一学期にかけて、片岡中学校では画期的な試みが行われていたので
す。そのことを知ったのは、新井国彦先生(国語担当)という方から、次のような文
面を添えて送っていただいた拙著「君たちは偉大だ」(偕成社刊、一九八〇年発刊
以来ロングセラー継続中の児童書)について、生徒の皆さんが書いた読書感想文
(一五五人分)を拝見したときです。
 「このたび、片岡中学校二年生(一五五名)四クラスで『君たちは偉大だ』を読ま
せていただきました。小生の国語の授業時間を調整し、四時間ほど朗読しました。
早口で読みましたが、生徒一人ひとりの手元に本を配ってありました(学校図書館
で一クラス分四〇冊購入)ので予想以上に受け止め方が良かったようです。学力
的にあまり高くない本校二年生が、これだけ感じることがあったのは驚きでもありま
したし、とてもうれしいくも思いました。読み進めるに従い、生徒たちが内容にひき
込まれるのが手に取るように分りました。子どもたちのいちばん知りたいことをわか
りやすく示してくださっているおかげだと思います。生きていくうえでの根本的なもの
の見方、考え方をお知らせいただいたことにあらためて感謝いたします。・・・・」
 私が教育史上に残る一大快挙といったのは、もちろんそれなりの理由があります。
 まず第一は、前例のないことを試み、教育改革に指針となる貴重な資料を提供し
てくれたことです。
 人間形成にとって最も大切な人生の黄金期(自立期)にあって、生徒たちを対象
にしかも学年全員に、正規の授業を使い、適切な教材(人間学読本)を用いて、人
間学の指導を本格的に(目的意識をもって)手がけたという例は、未だかってなか
ったことです。
 第二は、その前例のない試みによって、人生の黄金期に「人間学」の基本を教え
ることがいかに重要であるかが明らかになったことです。
 一五五人の生徒たちの感想文を読んで率直に感じたことは、やはり予想通り、今
の子どもたちは皆一様に、人間としてどう生きたらよいかを真剣に考え、そのことを
心底知りたいと思っていることです。そして全員が、この本に書かれていることを素
直に理解し、評価し、この本に出会えたことを心から喜んでくれたことです。「私た
ちのために、ぜひまたこういうためになる本を書いてください」と多くの生徒が書き
添えてくれていたことです。
 したがって、われわれが今ただちに為すべきことは、そうした子どもたちが心底
求めている人間学を根幹とする本物教育への転換を図ること。そして、今彼らが陥
っている悲観的、失望的な(自己否定型)人生観をただちに一掃し、夢と希望にあ
ふれた未来志向の肯定的な(自己肯定型)人生観への脱却を早急に推進すること
です。それこそが本物の教育改革の核心に他ならないと思うからです。
 このことは、片岡中学校でのもう一つの快挙によっていっそうはっきりします。そ
れは、同じ生徒たちが、今度は自分たちの方から自発的に要望し、私のもう一つの
著書『君たちは受験生』(偕成社刊、受験をテーマに人間学の基本を説いた児童書)
を、前回と同様の方法で読むことを実践したことです。
 その辺の経緯について、新井先生は「『君たちは受験生』感想文集」の「前書き」
で次のように述べています。
 「片岡中学校三年生は、『君たちは受験生』を読了した。昨年度読んだ『君たちは
偉大だ』に続き、百瀬昭次さんの著書の二冊目だ。
 生徒の方から今度は『君たちは受験生』を読みたい、という声が聞こえてきた。学
年が進み、三年生になった折に、三学年職員に意向をはかったところ快諾を得た
ので、一学期の学活・道徳の時間を使って読み進めることにした。今回は、四クラ
スの担任が朗読をし、生徒も手元に『君たちは受験生』を開き、活字を目で追う形
とした。読了まで四時間ほど要するため、間伸びする中で読み終えた部分を忘れ
てしまったり、飽きてしまったりということが懸念された。しかしながら、書き上げた
感想文を見ると、生徒たちはしっかりと内容を捉えていることがわかる。これは、各
担任が熱意を持って読み進めてくれたことが生徒に伝わったものと考える。また、
多くの感想に記されているように『君たちは偉大だ』の内容をベースに読んだことも
理解を確かなものにしたようだ。
 百瀬さんの著書は、人を勇気づけ、奮い立たせる。生徒一人ひとりの感想の中に
F型人間からS型人間に脱皮することを目指して努力を始めるというような前向きな
心情が吐露されている。百瀬さんの言葉が『生きる意欲』というものを引き出してく
ださったことに心から感謝したい。・・・・」
 この二冊の本で行った片岡中学校における読書学習法を、私は「片岡方式」と命
名させていただくことにしましたが、この片岡方式は、次の点できわめて重要な意
味を持っていると考えます。
 (1) まず第一は、生徒全員に本を持たせ、先生が朗読するという指導スタイル
をとったこと。そして正規の授業として四時間かけて読了したこと。この先生と生徒
の一体化した指導法の有効性です。
 (2) 第二は、そうした先生の熱意に生徒たちが共鳴したこと。それと本の中身
が生徒たちの要求に合致していた(生徒たちは本物に対してきわめて敏感に反応
する)こと。これによって大きな成果が得られることです。
 (3) 第三は、『君たちは偉大だ』を読んだ生徒たちが、今度は自分たちの方か
ら自発的に『君たちは受験生』を読みたいと、先生(学校側)に申し出たこと、そし
て学校側(先生たち)もそれを喜んで受け入れ実施に踏み切ったこと。この生徒た
ちの主体性(自主性)のすばらしさと、それを生かした先生たちのすぐれた指導性
です。
 (4) 第四は、「教育」の根本要素である『教える内容』と『教える方法』が揃って
適切であったことです。
 これにはさらに続きがあります。生徒たちが、私の口から直接話を聴きたいので、
ぜひ講演に来てほしいと率直な気持ちを伝えてくれたのです。
 もちろん私は喜んで応え、去る二月三日片岡中学校を訪問し、『君たちは偉大だ』
という演題で全校生徒に一時間半ほどの講演をしました。午前中でしたので、寒か
ったり、眠かったりで、集中力を欠きやすいのが普通ですが、生徒たちは皆真剣な
眼差しで最後までしっかり聴いてくれました。
 講演終了後、教室に戻って書いてくれたという生徒たちの感想文集が、先日私の
手元に届きました。
 その「発刊にあたって」という序文の中で新井先生が次のように述べています。
 「二月三日(土)は、片中生にとって、また一つの成長のきっかけをつかんだ日だ。
 三年生には、『君たちは偉大だ』・「君たちは受験生」の著者を通しての「人間学」
の学習の総まとめの機会となった。一・二年生にとっては、百瀬さんとの出会いは
初めてであったわけだが、この講演が『出会い』そのものの意義を知らせ、『人間
学』の勉強の入り口に立たせる契機となった。
 講演会は、百瀬さんの片中生との出会いの感激の話に始まり、片中生こそが日
本・世界をリードするチャンスを手にしているのだ、という激励で締めくくられた。一
時間半という限られた時間ではあったが、多くの先人の教訓や、自身の経験、また、
中学生が陥りやすい誤った考え方や行動といったものを、熱っぽくわかりやすく説
いてくださった。(中略)
 一・二年生も話のポイントをしっかり理解してくれたことに感謝している。『また来
てほしい』『百瀬さんの本を読みたい』『自分の考え方が変わって自身と勇気がわ
いてきた』・・・・。多くの生徒の『生きること』を学ぶ、まっすぐな眼差しというものが、
感想に見てとれる。・・・・・」
 私も早速読ませていただきましたが、今回もまた心のこもった作品ばかりでした。
とりわけ印象にのこったことは次の二点です。
 (1) 人生を前向きに力強く生きようとする姿勢が生徒全員に浸透していたこと。
 (2) 話の続きがまた聞きたいという声が、まだ私の本を読んでいない、二年生
や一年生たちからも数多く寄せられていたこと。
 以上述べた三つの感想文集からわかることは、今の子どもたちは正しい人生観
や人間学の基本を適切な方法で教えてやれば、真剣に学び大事なことは必ず吸
收するということです。したがって、人生の黄金期のおいて「人間学」を修得するこ
との必要性と有効性は、もはやゆるぎないものになったということができるというこ
とです。このことは、全ての感想文を一読いただければ一目瞭然です。紙幅が足り
ずここで紹介できないのが誠に残念です。(後記参照)
 この片岡方式については、すでに採用に踏み切り成果を上げている小・中学校も
あり、後に続く学校が一校でも多く出ることを願ってやみません。何よりも生徒たち
がそれをいちばん待望しているからです。そして、それが教育改革の地ならしをす
るいちばんの近道だと私は確信しています。